裁判員

抽選で選ばれた国民が裁判に参加することになる裁判員制度は、来年の5月27日までに始まる。そのせいか、裁判員制度を押し進めたい人もそうでない人もやっきになっている。「手当が少ない」「仕事を休めない」と言えば、「手当は十分出しますよ」「休んでも不利にならないようになっていますよ」と、こうくるわけだ。しかし、本質はそうでない気がする。そして、双方がそれを知りつつ、避けて通っているのだ。

なぜ裁判員になりたくないか。それは気持ちの問題なのだ。

司法の現場にいる人たちは、偶然そこにいるわけではない。そこにいたいから、司法に携わりたいから、そこにいる。だから、人を裁くということに覚悟を持っている。しかし、平和に暮らしてきた一般市民にその覚悟はない。「自分の判断で人の人生を左右する、そんなことをしてよいのだろうか。」という不安がある。恐ろしい、できれば関わりたくない、と思っている。私もそうだ。

判断を誤ることは、もちろん怖い。ただ、判断すること自体が怖い。例え、法律的には何の罪にも問われなくとも、自分の心には重い責任がのしかかる。だから、手当が十分であるとか、法律で保護されるだとか、そんな決め事ははっきり言ってどうでもよい。これは気持ちの問題、覚悟の問題だから。